胡乱な犬

今の職場は横須賀の山奥にあるのですが、帰りに若い同僚と一緒に帰っていたときのこと。
「この山の裏を通ると早いんですよ。山道ですけど」
その一言に気軽にのった事が幕開けでした。

時間はまだ早い午後七時ちょっと前。
そろそろひもながくなりつつあるころですが、さすがにもう暗く。
山道は言葉どおり山道であり、ところどころに民家があるために一応の舗装はされているものの街灯は数少ない。
足元もまともに見えず、携帯電話の灯りで足元を照らしつつ山間の道を行く。どうやら彼の知っている道とは違う道を進んでしまったようで、とりあえず駅の方角だけは確認して山間の知らない道を歩く。

土の匂い、葱畑の匂い、風はまだ寒く、山の向こうに月がやけに大きく見える。
隣を歩く同僚の顔は影になって見えない。

畑の脇を抜けて、山肌に密集するように民家が立ち並ぶ一体を通る。
道幅はすれ違うのがやっとといったところで、軽自動車が通れるかどうかすら怪しい。
2〜3m先の曲がり角から、散歩用の紐をつけたままの犬が小走りにやってくる。飼い主の姿は見えない。
中型犬と言うにはやや小型、日本の犬らしいとんがった顔のおそらくはまだ若い犬。
こちらを見て嬉しそうに近寄ってきた。
しばらくその犬と戯れていると、またもや何かがやってくる気配。飼い主の様子。

そこにあわられたのは飼い主らしき中年女性と、一匹の黒い巨大な犬。
唇がたれた感じの、正面から見るとおおざっぱに台形の形をした顔。
闇にまぎれてその顔立ちははっきりとしないが、まず大きさがおかしいことに気がつく。
どう考えても大型バイクと同じくらいの大きさで、犬とは言いにくい。大体、飼い主であろう中年女性がまたがっても違和感がないと思うくらいの。

やはり先ほどの犬は彼女の飼い犬であったようで、一言二言会話をして、大きな黒い犬にも挨拶をした。
彼は先ほどの犬のように喜ぶ様子も、こちらを威嚇する様子もなくただそこでじっとこちらを見ていた。前足を見たが、自分の拳とそう変わらない大きさだった。
実際に会話したのは30秒もなかったと思う。
女性と別れ、同僚と「あの犬はなんであんなに大きかったのだろう」と話しながら歩いているうちにようやく山を越え、幹線道路に出た。

中年女性は先に来ていた犬に関しては嬉しそうに話したが、その大きな犬に関しては一言も口にする事がなかった。それに気がついたのは駅のホームで電車を待っているときだった。
あの犬は一体なんだったのだろう。
ただ大きく育ちすぎただけなのではないかと思うのだけれど、今考えると女性の顔も小さい方の犬の顔も覚えているのに、黒犬の顔が思い出せない。